常盤平団地の子供たち
日本の高度経済成長期前の1959年、住宅公団により常盤平団地・金ケ作土地区画整理が始まり電気・ガス・下水の整った住宅地が造成され、1962年に常盤平団地の入居が始まりました。
当時は三種の神器(天皇家のものではなく家電のテレビ・洗濯機・冷蔵庫)が揃った快適な住まいのパンフレットで都内からこぞって入居してきたようです。
地元民のボクが小学生の頃は子供が多く、町内の子供会でソフトボール部が結成され、松戸市の大会では団地の子供たちと一戦を交えていた。
常盤平団地軍は常盤平A・B・Cと常盤平東A・B・Cチームの計6チームありAチームが一軍でB・Cと続くメジャーリーグ級の選手の層と組織力があった。
我々は道端でゴムボールの遊びの野球しかやっておらず、それでも5年生で父兄が監督になった即席チームでソフトボール大会に挑んだ。
大会では団地の子供は育ちのいい格好をしていたので白人、我々はそうでない格好をしていたのでインディアンのような読売巨人軍対アパッチ野球軍の漫画のようだったと回想する。
実際の試合はA・Bチームには20点以上の大差で負け、Cチームにも敵わず、それでも懸命に数点返して完封負けはしておりませんでした。
それを見た大会関係者が我々の面倒を見てくれるようになり、1年の間しごきにしごかれ、次の大会ではCチームには楽勝、Aチームには歯が立ちませんでしたが、Bチームとは同点で大会を終えました。
常盤平Aチームには元阪神のセカンド和田選手が所属していたと成人になって知りました。
子育て世代が減った松戸市を象徴するように当時隆盛を誇った常盤平団地の中心にある常盤平第一小学校の現状は入学者が1名で廃校の危機にあるようです。
岡田 純
