鉄腕山本由伸
世界一を決めるワールドシリーズは18回までもつれる延長戦があったほど混戦で
最終の第7戦も延長戦にてドジャース連覇という伝説に残る試合を見せてくれた。
敗戦後の第2戦の完投勝利と負ければ優勝を逃す第6戦に先発し6回1失点で勝利に導き
対戦成績を5分にしたのはドジャース主戦投手の一人である山本由伸
この試合で6回まで100球近くの球を投げていたが第7戦では土壇場9回の同点で
マウンドに上がり延長11回まで踏ん張り、味方のホームランで優勝をもぎ取った。
相手のブルージェイズは最も手ごわい相手だった。若い力がみなぎっており、ベテランは
脇役に追いやられているような破壊力抜群の打力がひときわ目立つチームだった。
大谷がドジャース移籍の時には、カナダという寒い地域なのに最後まで候補になっていたのが
理解できるチームである。
大谷はその分ブルージェイズファンには大分やじられていたが、家庭ではこのような
やじられ方をしないようにと・・・インタビューの返しも一流になっていた。
山本由伸投手は7戦中3勝し防御率1.02 と驚異的な成績を残し大会MVPに選ばれた。
最終戦においては中0日という現代では考えられない起用であるが、本人が志願して
登板したが負ければ悪采配だったのを勝てたことで、監督は勝利インタビューにて
名将にしてくれたとユーモアをもって表現した。
この試合はリアルで見ていないが、何度も名場面を見る機会があり見るたびに
感動していた。放映が日曜日なので昼間でも多くの国民がリアルで目にし感動できたことに
うらやましく思うのである。
日本でも日本シリーズという大舞台で似たような伝説があるが、1958年に行われた
西武の前身西鉄ライオンズ対巨人の戦いがそれにあたる。
プロ野球ファンならご存じの方も多いが『神様・仏様・稲尾様』の西鉄の稲尾和投手のことで
西鉄3連敗のあとの4連勝での優勝の立役者である。
合計7試合中6試合投げ4勝2敗でおまけにサヨナラホームランを1本打っている。
後の1959年にもソフトバンク前身の南海ホークスが巨人相手に4勝0敗で優勝しているが、
杉浦正投手が第1戦先発、第2戦中継ぎ、中1日で第3戦先発、第4戦先発ですべて勝利し優勝している。
日本の例は早く投手生命をつぶし現代ではこのような起用はないが、スター性だけでは申し分ないし
当然語り継がれるべき試合であり選手である。
山本選手は第7戦はトレーナーから助言がもとになったと言い、ブルペンに入っていれば選手たちを
鼓舞する役目になると第6戦後身体のケアーをしてもらったが、気が付いたらマウンドにいたという
コメントを発し、彼は本当にいい男だなとますます感動してしまった。
常勝阪神がまさかの日本一を逃したがドジャースの世界一で悔しさを吹き飛ばしてくれました。
岡田 純
