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五香のつぶやき

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長嶋茂雄選手時代の記憶

 

長嶋茂雄選手の現役は1958年から1974年までであるが、ボクは小学低学年から
野球が好きだったのに長嶋選手のプレーに関しての記憶がほぼ無い。

4番サード長嶋のアナウンスで球場が沸いたという記憶は今でも鮮明であるが
既に神格化されていたのだろう、もう一人の得点力の高い王選手の
ホームラン王として活躍で長嶋選手の印象が薄れてしまったのだろう。

長嶋選手引退試合の時は画面越しの球場は超満員で大人の野球ファンは涙を流し
グランドを後にする姿に嗚咽と共に声援を送っていた。

試合後の引退セレモニーは長嶋は巨人ファンだけでなく国民に愛されていたと
感じる場面だった。

でもV9真っ只中の強い巨人のファンであったボクはというと長嶋・王ではなく 
俊足のセンター柴田と塀際の魔術師と謳われたレフト高田が好きでした。

トレードマークの赤手袋をした柴田選手が2塁へ盗塁するカッコよさや、
レフト線のヒットのクッションボールをいち早く処理し打者を一塁で
足止めさせる強肩の高田選手の二人が当時のボクの憧れの選手でした。

テレビでは巨人戦のみ中継で誰もが巨人ファン、野球少年はジャイアンツの
マークの付いた野球帽をみんながかぶっていた時代であったが、
勝つのが当たり前、巨人軍選手は紳士たれ という風潮に
ボクはいつしか反発し阪神ファンに鞍替えしてしまった。

長嶋氏の現役時代は調べてみると17年間で首位打者は6回、本塁打王2回、
打点王2回で通算打率3割5厘、444本塁打、1522打点で打者としての成績は
一流、それに加え華麗な魅せる守備でファンを沸かせる、圧巻なのは
ここぞと言う時に打つ勝負強さであり、それこそが長嶋人気に拍車をかけた。

長嶋入団当時は大学野球の方が人気があったようだが、勝負の中に
魅せる野球を想像し実行する、ファンに強く印象付けさせるスター性を
印象付け日本中の男児が野球選手になりたがるくらいに日本プロ野球を
発展させた第一人者であった。

長嶋氏の訃報を聞き長嶋と関わった人たちが色々と心に残る言葉を頂いている。

その言葉が醸し出す相手を易しく包み込む人柄は国宝級で、一生涯巨人軍に
心身ともに捧げ続けた長嶋茂雄という人物にボクは敬意を表したい。

 岡田 純